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東京地方裁判所 平成7年(ワ)20397号 判決 1996年12月17日

原告

株式会社ダイエー

右代表者代表取締役

中内功

右訴訟代理人弁護士

的場徹

長谷一雄

佐藤容子

被告

株式会社ダイヤモンド社

右代表者代表取締役

佐藤武

被告

松室哲生

右二名訴訟代理人弁護士

山本榮則

辻千晶

大野康博

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  原告の請求

一  被告らは、原告に対し、被告らの費用で別紙謝罪広告を、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、産経新聞、日本経済新聞の各新聞全国版朝刊社会面に標題の「謝罪広告」、末尾の「株式会社ダイヤモンド社代表取締役佐藤武」、宛名の「株式会社ダイエー代表取締役中内殿」は各一四ポイント活字、本文は八ポイント活字を用い、二段抜き横幅一〇センチメートルの大きさで掲載せよ。

二  被告株式会社ダイヤモンド社は、原告に対し、同被告の費用で別紙謝罪広告を、同被告発行の「週刊ダイヤモンド」誌上の表紙見開き裏頁に一四ポイント活字を用い縦二五センチメートル、横一八センチメートルの直線で囲まれた枠の中に掲載せよ。

三  被告らは、原告に対し、各自金一億円及びこれに対する平成七年一〇月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  前提となる事実

1  原告は、昭和三二年四月一〇日に設立され、現在資本金約五二〇億円の小売業等を営む東証一部上場の会社であって、全国に大規模小売店舗を有し、その店舗の売場面積は合計約二五〇万平方メートルに及ぶ。中内は原告の代表取締役兼社長であり、その長男中内潤は原告の副社長である。

2  被告株式会社ダイヤモンド社(以下「被告会社」という。)は、雑誌、図書の発行及び販売等の事業を営む会社であり、広く経済界を対象としたビジネス情報週刊誌である「週刊ダイヤモンド」を毎号約一〇万部全国で発売している。被告松室哲生は、被告会社の編集部長であり、右週刊誌の編集責任者である。

3  被告松室は、平成七年一〇月二日発売の週刊ダイヤモンド一〇月七日特大号二四頁以下において、「百貨店・スーパーの動乱」を特集見出しとし、「中内がダイエーを去る日 経営危機が頂点に達する」を標題として、次の(一)及び(二)記載の記事を掲載し、被告会社は同誌を全国で発行頒布した(以下、(一)記載の記事を「本件(一)記事」、(二)記載の記事を「本件(二)記事」といい、両記事を合わせて「本件各記事」という)。

(一) ダイエーの店舗運営力で厳しいコスト運営がどこまでできるか、という自問も含めて、しかしながら社内でそれを公言できる者は一人としていなかった。御曹司肝煎りの事業だけに、まるで腫れ物にさわるかのように扱われてきたのである。『しょせん中内一族の会社ではないか』としらける者もあったが、『後継者である潤氏に嫌われると大変な目にあう』とおびえる者もいた。頻繁に起こる左遷人事もその一因となっている。

定期的に店をまわって商品や陳列について細かく指示を出す潤副社長だが、北海道のある店の店長がその絶対的命令に口答えした。『品揃えに地元の店としての地域性を出すべきでは』と進言したのである。その店長は直ちに転勤の辞令を受け取ることになったが、こうした事件は多少の尾ひれをくっつけて、たえず社内をかけめぐっては、神話を増幅させている。

副社長の店詣では、現場にとっては『父親参観』によく似た一連の行事として受け止められている。店に到着した時点で売れ筋商品に品切れを起こしていればこっぴどくしかられる。悪くすれば飛ばされる。したがって、せっかくの売れ筋商品をあらかじめバックヤードに引き揚げ、副社長の到着直前に並べ直すという事態まで発生するという。副社長はそれを知らずに整然と並べられた店頭の売れ筋商品を確認して、満足げにお帰りになると言う。

店頭経験のない副社長の指令に現場は、半ばしらけながら服従している構図が浮かび上がる。あくまでも副社長は中内社長の息子という特別の人であり、彼が立ち上げたプロジェクトも同様の特別扱いをされている。

(二) アメリカ大手格付け機関のムーディーズ・インベスターズ・サービスが九月一八日、ダイエーの無担保長期債をジャンクボンド(ジャンクとはゴミの意味)に格付けした。これは元利払いの安全度に心配する要素があるという意味である。日経公社債研究所の格付けでいえばこれはBBに当たり、金融機関にとってはとても投資対象にならない銘柄で、実質的には資本市場からの調達が不可能ということを表す。

ダイエーにとっては幸いにも、現在の公社債研究所の格付けに影響はないが、直接金融の調達金利が上昇することは避けられそうもない。そのうえ金融機関からの借金にも厳しい目が光ることになる。米国の銀行であれば、ジャンクボンドに格付けされた企業に、従来どおりの貸付けを行うことは、当の銀行そのものが株主代表訴訟の対象にもなりかねない事態だからだ。

(以上の事実は、当事者間に争いのない事実及び弁論の全趣旨により認めることができる。)

二  原告の主張

1  被告らの不法行為

(一) 本件(一)記事は、原告の副社長が「中内社長の息子」という特別の立場を笠に着て、恣意的に人事権を発動して、社内において一切の批判を許さぬ絶対的な恐怖政治を行い、社員は副社長を腫れ物にさわるかの如く扱い同人に服従しており、原告が近代企業とは名ばかりの封建的な絶対君主による専制支配が行われている古い体質の世襲企業である旨の社会的評価を読者の間で形成するものである。また本件(二)記事は、原告の財務事情が急速に悪化しており、原告発行の社債は「元利払いの安全度」に不安があり、到底投資対象とはならない劣悪なもので信用に値しない旨の社会的評価を読者に植え付けるものである。

しかし本件各記事は、いずれも真実に反する著しく不相当なもので、原告の社会的評価を否定的に形成し低下させるものである。

(二) まず、本件(一)記事については、原告において、人事は人事本部がその責任の下で統括、管理しており、副社長が人事を差配しこれに恣意的に介入することもなければ、副社長に対して批判したという事実が人事異動において否定的な影響を与えるという事実もない。副社長に「服従」する者などはどこにもいないし、これに対して副社長が「絶対的命令」を発するという事実もない。「絶対的命令に口答えした」店長が左遷されたとか、副社長の店舗視察に対して品切れ回避のためにあらかじめ商品を売り控えたという話しはよくできた面白い話しであるが、そのような事実は存在しない。とりわけ後者の店舗視察時の逸話めいた話しはこれまでに何度か流された話しであるが、これは何者かが意図的に原告のイメージダウンを狙って創作し流布してきたものである。被告会社の記者である遠藤典子は、以上の点について証言する適格が認められる証言者から何の取材もしていないし、それに沿った客観的資料を入手してもいない。また、同記者は、右の点について、原告に取材をしておらず、原告のコメントは一切掲載されていない。

(三) 本件(二)記事は、被告らがアメリカ合衆国内の一格付け機関であるムーディーズ・インベスターズ・サービス(以下「ムーディーズ」という)の一方的な格付けを無責任に引用し、この格付けを前提とした上で当該格付け機関すら言明し得なかった原告の財務事情に関する虚偽の否定的事実を羅列したものであるが、その内容は全て真実に反する。

ムーディーズの格付けは、わが国で度々問題となってきた「勝手格付け」であり、わが国の大蔵省令によって格付け機関として指定された「株式会社日本公社債研究所」、「株式会社日本格付研究所」、「株式会社日本インベスターズサービス」の三社の格付け内容とは隔絶したものとなっている。

わが国で採用されている長期社債の格付けは、優良な順に「AAA」「AA」「A」「BBB」「BB」「B」「CCC」「CC」「C」「DDD」と符号表示され、さらに格付けが「+」「−」の符号で細分化されている。右三格付け機関の平成七年及び平成八年のダイエー長期債の格付けは次のとおりである。

株式会社日本公社債研究所及び株式会社日本格付研究所 Aプラス

株式会社日本インベスターズサービス A

これに対してムーディーズの格付けはBa3であり、右一般的な格付け基準に当てはめればBBマイナスに当たり、国内の指定格付け機関三社の格付け内容からは隔絶している。確かに、原告の平成七年二月期の決算内容は関西大震災の影響を受けたが、この決算を前提としても、原告の社債が「元利払いの安全度」に疑問を投げかけられるようなものでないことは明らかであり、原告が「資本市場からの資金調達が不可能」であり、原告に貸付けを行えば貸主は株主代表訴訟を起こされる旨の事実は、まったく真実を無視するものである。

ムーディーズの格付けが国内の指定格付け機関の格付けとは異なった特異な格付けとなっているのは、その格付けがいわゆる「勝手格付け」であるからである。債券格付けは、一般に、統計的な要素(定量的要素)だけに基づいてなされるものではなく、行政との関わり、メインバンクや企業グループとのつながり、経営者の経営理念や競争力強化のための長期的な戦略、重要と思われる開発プロジェクトの内容、含み資産の多寡、財務管理能力等の数値化されない要素(定性的要素)をも盛込んだものとされている。そのために、債券格付けにおいては、債券発行会社の経営者や担当役員とのミーティングが重要視されている。ところが、ムーディーズの格付けは、発行会社からの格付け委託がなされていないにもかかわらず、突如一方的に発表されるものであり、当然のことながら発行会社側とのミーティングはおろか、一切事情確認もなされないまま判定されるものであって、およそ定性的要素の把握の欠落したものとなっている。この格付けは、アブノーマルな格付けという意味で「勝手格付け」と呼ばれ、ムーディーズが市場に進出する際にしばしば使用する手法として、わが国では問題視されてきたものである。

被告らは、ムーディーズの本件格付けが勝手格付けであり、国内指定三社の格付け内容と隔絶したものであることを知っており、あるいは知りうる立場にいたものである。そのような状態の下で、ムーディーズの格付けを奇貨として、これを唯一の基礎事実に据え、それに沿った論評を行った本件(二)記事は、およそビジネス専門誌としての社会的任務をはき違え、ムーディーズの発表を口実に面白半分に原告を揶揄したものであり、到底正当な報道と評しうるものではない。

2  原告の損害

被告らの違法な本件各記事の掲載、発行頒布により、原告は、経営体質も財務内容もデタラメであると決めつけられたに等しく、消費者、投資家、金融機関、取引先等の広範な信頼の上で成り立ってきた原告の事業運営は重大な支障を生じるに至り、回復し難い信用毀損の損害を受けた。

3  被告らの責任原因

被告松室は前記不法行為を行った者であり、また、同被告の本件各記事の掲載は被告会社の事業の執行として行われ、同記事を掲載した雑誌の発行頒布は被告会社の事業の範囲内であったものであるから、被告らは、原告に対して、前記不法行為による前記損害を賠償すべき義務を負う。

ところで、被告会社が発行している週刊ダイヤモンドは、経済界、証券業界を中心として全国で頒布販売されており、その社会的影響力は大きい。本件各記事により失われた原告の社会的信用を回復するためには、少なくとも、被告らが、別紙謝罪広告を朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、産経新聞、日本経済新聞に掲載させ、更に被告会社が同広告を週刊ダイヤモンド誌上に掲載させることが必要である。

また、原告が本件各記事の公表によって被った精神的苦痛に対する損害は一億円を下らず、被告らは同金員を賠償すべき義務を負う。

よって、原告は、被告松室らに対し、右精神的苦痛に対する慰謝料として各自一億円及びこれに対する本件不法行為の日(本件各記事公表日)である平成七年一〇月二日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるとともに、原告の名誉回復のための適当な措置として、請求の趣旨第一項及び第二項記載の謝罪広告の掲載を求める。

三  被告らの主張

1  本件各記事は、原告の社会的評価を低下させるものではなく、その信用や名誉を毀損するものではない。

2  本件各記事は、公共の利害に関するものであり、かつ専ら公益を図る目的に出たものである。

即ち原告は、有名スーパーマーケットとして一般消費者の信用を集め、その信用を基礎としてその業務を行っており、また、東証一部上場企業として一般投資家の注目を集め、その信用は一般投資家にとって重大な関心事であるから、原告の営業成績や経営実態等は、公共の関心事である。

そして本件各記事は、原告の営業成績や経済界において原告が受けている評価、更に原告がその経営において抱える問題点等について、一般読者の正当な関心に応えるものとして、被告らの取材結果を報道したものであるから、公益を図る目的に出たものである。

3  本件各記事は、原告の営業収支が赤字の状況にあり、経済界の評価においても低い格付けがなされている事実や、原告副社長中内潤による頻繁な左遷人事の事実を報道し、併せて右に論評を加えたものであって、本件各記事で摘示した事実は全て真実である。

仮に、本件各記事の摘示した事実が真実でないとしても、被告らは、次のとおり、客観的に可能とされる取材を尽くした上でこれを真実と信じて報道したのであるから、本件各記事の摘示した事実を真実と信じるに足りる相当の理由があった。

(一) 本件各記事の取材に至る経緯

週刊ダイヤモンド編集部では、秋の目玉企画として五週連続五〇頁の特集を組むことになり、読者の支持が高い百貨店、スーパー業界の特集をその第一弾とし、テーマを「主役交代」とした。ところで原告は、売上高二兆五〇〇〇億円を超える流通業界のガリバー企業であること、中内社長の長男潤氏は、現在副社長として原告の業務を担当しているが、社長就任が間近いと噂されていること、新業態として「ハイパーマート」を打ち出していることなどから、業界内外から熱く注目されており、原告が企画の中心となった。

遠藤は、平成七年八月以降、一ヶ月以上にわたり、原告関係者として、中内社長、長岡惟之店舗企画本部長、原告広報室、原告元店長二名、同現店長二名、同元売場店員三名、同本部社員二名、同元幹部二名、原告グループ企業三社、取引先(問屋、メーカー)三社、その他大蔵省、証券取引所に取材した。また、月刊現代や日経新聞の記事を参考にもした。

以上の取材に基づいて得られた事実につき、遠藤が中心となって原稿を書き、被告らが独自に取材した資料を基に、取材内容を週刊ダイヤモンド編集部会議で検討し、真実性に問題はないとの判断の下に本件各記事を発表した。

(二) 本件(一)記事について

他方、原告副社長中内潤による頻繁な左遷人事の事実については、本件(一)記事が出るに先立ち、講談社発行の月刊誌「現代」一〇月号に「『孤立するドン』に明日はあるか ダイエー中内父子の研究」との標題で既に公表されており、本件(一)記事は、右「現代」の記事に新たな事実を付け加えるものではない。そして、被告会社は、当然のことながら、独自に複数のニュースソースから裏付取材を行った。ニュースソースには、原告内部者も存するが、原告の経営に危機感を持っていたことから進んで取材に応じた。

(三) 本件(二)記事について

ムーディーズが、原告の無担保長期債をジャンクボンドに格付けしたのは事実であり、その意味も記事記載のとおりである。ムーディーズによるジャンクボンドの格付けが、「金融機関にとってはとても投資対象にならない銘柄で、実質的には資本市場からの調達が不可能ということを表す」ことや、「米国の銀行であれば、ジャンクボンドに格付けされた企業に、従来どおりの貸付けを行うことは、当の銀行そのものが株主代表訴訟の対象にもなりかねない」こと等は、銀行業界及び証券業界においては常識に属する事項である。本件(二)記事は、右事実を下に論評しているのであるが、ムーディーズは権威ある格付け機関として経済界において絶大な信用を得ているのであるから、右事実を基礎として論評をすることに不相当の入る余地はない。

第三  当裁判所の判断

一  本件(一)記事の違法性の有無

1  本件(一)記事は、原告主張のとおり、中内潤副社長が原告会社内で中内社長の息子という立場を笠に着て、恣意的に人事権を発動し、社内において一切の批判を許さない姿勢を取っており、社員は同人を腫れ物にさわるかの如くに扱い同人に服従しているという趣旨の内容となっており、右内容は、原告の企業体質に関する社会的評価を低下させるものとなっている。

原告は、資本金約五二〇億円の小売業等を営む東京証券取引所一部上場の会社であり、全国に大規模小売店舗を有し、その売場面積は延べ約二五〇万平方メートルに及んでおり(前記第二の一)、その従業員や取引関係者は極めて多数に上る。このような企業における副社長の人事権の行使の仕方は社会的関心事であり、本件(一)記事を含む週刊ダイヤモンド平成七年一〇月七日付け特大号中の「百貨店・スーパー動乱」の見出しの下の特集記事(乙第一七号証)は、その内容からみて公共の利益を図る目的で掲載されたものと認められるから、その報道が真実である場合には、それが右認定のとおり原告の社会的評価を低下させるとしても、その報道には違法性がないこととなる。したがって、本件(一)記事の違法性の有無を判断するには、右報道が真実であるかどうかが問題となる。

2  乙第七号証の一、二、証人遠藤の証言及び被告松室本人尋問の結果によれば、次の事実を認めることができる。

被告会社の記者である遠藤は、平成七年八月初めころ取材活動を開始し、同年九月下旬ころまで取材を続けた。同人は、元原告従業員で現在ダイエーグループ関連会社の従業員である者、札幌市在住の業界関係者で本件(一)記事に係る店長の人事に関わった者、二名の原告本社従業員、北海道のスーパー経営者等を取材し、本件(一)記事の事実を確認し、右記事の内容については、被告会社の編集会議においても吟味され、編集長である被告松室の従来の認識にも抵触するところがなかったため、その掲載が決定された。また、右記事は、それが発行される直前に講談社から発行された月刊誌「現代」平成七年一〇月号の「『孤立するドン』に明日はあるか ダイエー中内父子の研究」と題する記事とも趣旨を同じくするものであった。

3  ところで、一般に、会社や官庁などの相当程度の規模を有する組織の人事については、人事を直接に動かす権限を有する者としては公平公正を旨としたつもりであっても、その意向とは無関係に、恣意的、独善的あるいは報復的なものではないかとの評価をする者が生ずることは、世上ままあることである。これは、まず第一に、人事異動の性質上、異動の発令に際してその理由を付することがないことがその原因となっている。人事の掌にある者が当該人物の適性、能力、過去の実績等を考慮して、より広い経験を積ませる目的で従来の異動と異なった異動を計画したような場合に、その理由を付して異動の発令がなされることがないために、「左遷」ではないかとの評価が物見高い第三者からなされることは、多くの者がしばしば経験することである。第二に、人は他人が評価する以上に自分を有能なものと考えていることが多く、仮に客観的に適正な評価であっても、これを適正と感じないことが少なくないということが上げられる。自己の期待した異動が現実の異動と食い違った場合、それを見聞きした第三者の中に、客観的に正当な人事であると評価する者と、左遷ないし気の毒な人事と評価する者が生ずることは世上ままあることである。そのほか、さまざまな思惑から、人事については、常に、それが客観的に正当であるかどうかを別として、左遷ではないかとか、あるいは不公平ではないかとの評価をする者が生じうるものである。

このように、相当程度の規模を有する組織の人事に関しては、人事を動かす側の評価と人事異動の対象となる者及びその関係者あるいは当該人事とは無関係の第三者の評価とが食い違うということがままあり、人事を動かす側が適性と信ずる人事であっても、人事異動の対象となる者及びその関係者あるいは当該人事とは無関係の第三者からは不適正ないし恣意的人事であるとの評価がされることも少なくない。このような評価は、異動の発令に理由が付されることがないことから、いわゆる「うわさ」として流れるのであり、その真偽のほどを確かめる手段はほとんどないに等しい。しかし、人が人事に関してそのような評価ないし批判をすることは、人事異動という重要な事柄が公平公正に行われてほしいと願う人としての自然の感情に根ざすものということができ、人事を動かす側がこのような評価ないし批判を強権で抑圧するようなことは不可能であり、また、考えるべきことでもない。そうである以上、およそ相当程度の規模を有する組織においては、どの組織においても、そのような声が従業員、職員その他の関係者の間にあることは、経営者ないし幹部職員としては、常に予想しておかなければならないことである。従来のやり方を墨守している組織体よりも、新しい提案とその実行に心掛ける組織体のほうがそのような評価ないし批判の対象となりやすいことも、またしばしば体験されるところであり、実行力のある者であればあるほど、各種の評価ないし批判があることを予測しておかなければならないものといえる。

4  このような明らかな事実に照らして考えると、前記2認定のとおり、遠藤はその記事のとおりの評価があることを元原告従業員で現在ダイエーグループ関連会社の従業員である者、札幌市在住の業界関係者で本件(一)記事に係る店長の人事に関わった者、二名の原告本社従業員、北海道のスーパー経営者等から取材したのであり、右記事による評価の基礎となった人事異動があったことについては疑いを入れる余地がない。むしろ、原告ほどの規模の会社になれば、遠藤が取材したような評価をする関係者は、絶対数にすると相当数いるのが自然であるのであり、これほどの大企業で、もしそのような評価をする関係者がいないとすれば、それは、真に独裁的体制の会社である可能性があり、そのことが大いに問題とされることもありえよう。

その反面として、原告の関係者の中には右のような評価をしない者が相当数いることも容易に推測されるところであり(甲第一七号証)、その意味では、本件(一)記事は、一部の者の評価に基づく報道であるともいえる。しかし、人事異動の前記特質を考えると、多様な見方が予想される特定の人事異動について、一部の関係者からの情報のみに基づき報道がなされた場合であっても、その情報が相当な取材に基づいて得られたものであるときは、公益を図る目的に名を借りて、特定の加害目的を持って、それが一般に受け入れられる余地のない特異な見方をする者からの情報であることを熟知しながら、それを一般的な見方であるかのように報道したというような、その報道を違法とする特別の事情がない限り、その報道は事実に基づくものというべきであり、これを違法であるということはできない。

このような観点から、本件(一)記事を見てみると、前記2認定の事実によれば、右記事の基礎となった情報は相当な取材に基づいて得られたものと認められ、一方、右記事の報道を違法とする特別の事情を認めるに足りる証拠はない。

原告は、被告らが、本件(一)記事について、原告に直接取材しておらず、原告のコメントも付していないことも問題にしているが、人事異動に関する人の評価が前記3のようなものである以上、これについて原告の広報担当者の取材をすれば、偏った人事異動は存在しないとのコメントがなされることは自明であり、言論人にとって、そのような意味のない取材ないしコメントの掲載を義務づけられるいわれはないものといえる。

5  してみると、本件(一)記事には事実の裏付けがあり、これを報ずることに違法性はないものというべきである。

二  本件(二)記事の違法性の有無

1  本件(二)記事は、原告の無担保長期債がアメリカの大手格付け機関から低い格付けを受け、資本の調達に悪い影響が生じうることを報じたものであり、右記事の内容は、原告の資金調達力に関する社会的評価を低下させるものとなっている。

原告は、資本金約五二〇億円の小売業等を営む東京証券取引所一部上場の会社であり、その信用は一般投資家の注目するところである。このような企業の格付け及び資金調達力は社会的関心事であり、本件(二)記事を含む週刊ダイヤモンド平成七年一〇月七日付け特大号中の「百貨店・スーパー動乱」の見出しの下の特集記事は、その内容からみて公共の利益を図る目的で掲載されたものと認められるから、その報道が真実である場合には、それが右認定のとおり原告の社会的評価を低下させるとしても、その報道には違法性がないこととなる。したがって、本件(二)記事の違法性の有無を判断するには、右報道が真実であるかどうかが問題となる。

2  <書証番号略>証人遠藤の証言及び被告松室本人尋問の結果によれば、遠藤は、米国の大手格付け機関であるムーディーズが平成七年九月に原告の無担保長期債をBa3に格付けしたこと、この格付けは、一般的な格付け基準でいうとBBマイナスに当たること、BBBマイナス以下に格付けされた債券は、金融機関にとっては投資適格を欠く銘柄であり、実質的には資本市場からの資金調達が不可能ということを意味すること(BBはBBBより低いランクである)、このランクに格付けされた債券は米国においては通称「ジャンクボンド」と呼ばれていること、ジャンクとはガラクタの意味であること、米国の銀行であれば、ジャンクボンドに格付けされた企業に従来どおりの貸付けを行うことは株主代表訴訟の対象となりかねないことであること等の事実を取材したことが認められる。

一方、<書証番号略>によれば、ムーディーズによる長期債の格付けの中には、国内の指定格付け機関における格付けと大きく異なっているものがあること、格付けの際には様々な要素が総合的に考慮され、その要素の取り上げ方によって格付けの差が生じうるが、ムーディーズは、企業の静的な部分(バランスシート分析)より動的な部分(キャッシュフロー分析)に重きを置いており、この点で国内指定格付け機関の評価の仕方と異なっていること、ムーディーズは国内の指定格付け機関とは異なり、発行会社からの格付け委託がなされていないものについても格付けをしており、このような委託のない格付けは「勝手格付け」と呼ばれていること、国内経済界の一部にはこの勝手格付けを問題視する声があるが、ムーディーズは格付け機関として世界的な評価を受けており、わが国においても、株式会社日本公社債研究所、株式会社日本格付研究所、株式会社日本インベスターズサービスと並んで、大蔵省令による格付け機関として指定されていることが認められる。

3  右2認定の事実によれば、本件(二)記事は、事実に基づいて記述されたものであるということができる。

原告は、ムーディーズが行う勝手格付けはわが国において問題視されてきたものである旨主張する。しかし、わが国の経済界の大勢がムーディーズの勝手格付けを問題視していることを認めるに足りる証拠はない。もしそうであれば、ムーディーズが右認定のとおり大蔵省令による格付け機関として指定されているのは不可解なことである。仮に右主張が、わが国の経済界の一部にムーディーズの格付けを問題視する声があるのに被告らがそれを無視したということであれば、被告会社の発行する週刊ダイヤモンドがいかに有力なビジネス情報週刊誌であるとはいえ、常にあらゆる意見に配慮した記事を書かなければ違法となるというものでもないから、それも理由がないものといわざるえない。また、原告は、勝手格付けにおいては統計的な要素(定量的要素)しか考察することができず、格付けに不可欠な数値化されない要素(定性的要素)の考察がなされない旨主張するが、格付け委託がなされていない場合には定量的考察しかできないかというと、必ずしもそうとはいえず、現に、甲第七号証の一及び二によれば、ムーディーズが委託のない会社の債券について評価する場合にも、定量的考察ないし統計数値のみで格付けが決められるようなことはないことが認められる。原告の右主張はいずれも理由がない。

4 してみると、本件(二)記事には事実の裏付けがあり、これを報ずることに違法性はないものというべきである。

三  結論

以上のとおり、本件各記事には違法性が認められないので、これが違法であることを前提とする原告の請求は理由がない。よって、これを棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官園尾隆司 裁判官永井秀明 裁判官井上正範)

別紙<省略>

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